更に詳しくネットを使って下調べをしてみた所。霧湧村にはいくつかの都市伝説が流されていることが判明した。
『霧湧トンネルを抜けた近くに、日本の法治が及ばない恐ろしい集落『黒霧湧』があり、 そこに立ち入ったものは生きては戻れない』 という如何にもな都市伝説だった。霧湧トンネルは村の入り口にあたる部分にあり、地図で見た限りではどうって事の無い普通の生活トンネルだ。雅史はインターネットで別の都市伝説も読んでいた。霧湧村は閉鎖的も閉鎖的で祭りには絶対に部外者を招待しない、一説では人喰いの風習があるらしいとの眉唾な噂もあり、もう少し詳しく調べてみる必要があるとも感じていた。
日本全国各地に俗に『パワースポット』と呼ばれる地脈の集結点や、大地の『気』の湧出点があり、そこを巡る旅行が流行っているが、村にもそういう場所があるらしい。但し、村にあるのは『ダウンスポット』と呼ばれる物だ。『パワースポット』は自然エネルギーを大地から放出するが、『ダウンスポット』は逆に持って行くのだそうだ。『パワースポット』事態なんだか胡散臭いが、『ダウンスポット』の存在があるのなら見てみたい衝動に駆られていた。
それに自然エネルギーという考え方も、ちょっと目新しかったのだ。すべての生き物の生命は自然エネルギーの集合体であり、豊穣の実りは自然エネルギーが移動した結果に過ぎないという考え方らしい。
(山神信仰みたいなものかな?)
この都市伝説に関しては諸説が色々と書いてあった。元々、山間で狩猟を生活の糧としてきた村人たちは、江戸時代以前より激しい差別を受けてきたために、霧湧集落は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしていた。
または、流行りの不治の病が流行した時に、村人を閉じ込めて棄てられた村である為、下界の人々を嫌っていたともある。人里から隔離されたような場所にあるので、近親交配が続いて血が穢れているとされて、交流を近隣の村から拒絶されたともある。ただ、これらの都市伝説については根も葉もない噂話であるとも書かれていた。
霧湧は江戸時代中期、元禄四年以前に鹿馬藩庁が城下の地行町に居住していた鉄砲足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。 また、毛皮や山菜、砂金などの交易を通じて霧湧村と近隣の村は良好な関係にあったとも書かれていた。それと腕の良い陶器職人がいたらしく、皿・茶碗や徳利などの出土品が見つかっている。(なぜ、こんな都市伝説が流されているのか?)
雅史はその背景の方が気になった。
雅史は夜になって美良の実家を訪ねた。今後の方針を決める為だ。誰もが同じことをしていても無駄になるからだ。
美良の実家は両親と美良と姫星の姉妹で四人家族だ。両親ともに教育関係者をしており、妹の姫星(きらら)はまだ高校生だった。「ご無沙汰しております」
ご無沙汰と言っても先月来たばかりだ。一人暮らしの雅史の健康を気遣って、美良の母親が定期的に夕食に招いてくれるのだ。非常に美味しい料理と『んっ?』となる料理があるが、後者が美良の手作り料理である事は明白だった。
時々、明らかに料理の次元を超えた物が出て来るが、それは妹の月野姫星(つきのきらら)特製手料理であろう。「学会が近いのに済まないね。 まったく、美良はどこをほっつき歩いているんだか……」 自分の恩師でもある父親が憔悴したように言ってきた。碌に睡眠を取ってないのか目の下に隈を作っていた。「いえ、自分は大丈夫です。 先生こそ大丈夫ですか?」 雅史は相手を気遣いつつも、お茶を持って来てくれた母親に軽く頭を下げて、鞄の中からいくつかの記事を印刷したものを取り出した。 「実は地方新聞の記事を見ていて気が付いたのですが、美良さんが尋ねた神社や寺には泥棒が入っていたようですね」 雅史は美良が村に行く何日か前に、神社と寺に泥棒が入ったとの記事を見つけていた。大した被害は無かったらしいが、詳細は不明だった。この件は村に行って直接聞いてみる事にしている。 警察に問い合わせても弁護士ならいざ知らず、民間人に教えてなどはくれないのは解っていたからだ。「ふむ…… その泥棒たちと何か問題を起こしたのか?」 美良の父親は、そんな疑念が湧き上がって来たように聞いて来た。隣に座って居る母親も同じようだった。「でも、それだったらメールじゃなくて電話寄越すだろうし、親父さんに相談しますよね?」 雅史は自分にはそんな事は何も言ってなかった。「あっ、そういえば……」 姫星が雅史の話を聞いていて思い出したように言った。「おねぇが村から帰って来た時に、そんな事を言ってたよ」 いつもの雑談だと思っていたので聞き流していたそうだ。「何でも泥棒が神社の本殿に入って、金目のものが無かったのに腹を立てた連中が、中の物を壊して回って村の人が困っていたって言ってた」 姫星は行方不明になる前に姉と交わした会話を思い出していた。「でも、おねぇ自身が何かに困っている風じゃなかったよ?」 姫星が続けて答えた。「あの日も、大学に行く時は普段と変わらずに出かけていったからねぇ」 今度は母親が答える。美良の家族は羨ましいぐらいに仲が良い。雅史が理想とする家族像であった。「じゃあ、泥棒にどうこうされている訳では無いみたいですね……」 雅史が姫星と美良の会話内容を聞きながら答えた。泥棒の一味に捕らえられているのではないかとの懸念があったのだ。「どっちにしろ無断で出かけるような娘では無い。 それで雅史君は、その何とかって村には行って来るのかね?」 父親が雅史に尋ねる。出来れば自分も行きたいそうだが
雅史の車の中。(到着が夜中になっちまうな……)(起きててくれるかな……)(田舎の人って早く寝てしまうイメージだし……) そんな事をつらつらと考えながら。雅史は車を霧湧村に向けて走らせていた。途中の高速のサービスエリアに立ち寄る事にした。喉が渇いたので飲み物を買おうかと思ったのだ。 エンジンを止めたところ妙に車の後ろが騒がしい。もちろん、一人で来ているので後部座席には誰も座っていない。『ドンドンドン…… ドン…… みゃぁみゃぁみゃぁ……』 どうやら車のトランクの中から何かが聞こえる。猫か何かがトランクの内側で鳴いている感じだ。だが、トランクの中には交換用のタイヤぐらいしか入ってないはずだ。(ん…… ま・さ・か……) だが雅史は嫌な予感がした。 雅史はトランクを恐る恐る開けてみると、『ポンッ』という感じで姫星が飛び出て来た。そして目に涙を浮かべながら言った。「お…… お…… おトイレぇ~~~」「あぁぁ、やっぱり…… 」 雅史は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。そして、そのままサービスエリアのトイレの方角を指差した。姫星はそのままパタパタとサービスエリアのトイレに走って行った。姫星は車のトランクに隠れて、美良の捜索に加わる事にしたのだった。「今から…… 姫星ちゃんを家に届ける訳には行かないか……」 腕時計を見ると夜中を回っている。一旦、送り届けてもう一度来るとなると朝方になってしまう。 美良の探索に休日を充てたかった雅史は、無理をして徹夜で仕事を片付けていてヘトヘトになっていた。(どうしたもんだか……) どうやって車のトランクに入ったのかとか、質問は色々とあったが姫星を連れて行く事にするべく月野家に連絡する事にしたのだった。(取り敢えずは連絡が先だな) 雅史は携帯電話で月野恭三に電話をかけた。家族が心配していると拙いし、知らなかったとは言え、未成年者を連れまわすのは色々とうるさいご時世だ。『家に居ないのでまさかと思ったが…… やはり、付いて行ったのか……』 月野恭三は予測していたように電話口で呟いていた。どうやら居ない事に気が付いて探し回っていたらしい。「はい。 車のトランクの中に入っていました」 そう、雅史が言った。『…… はぁ ……』 恭三は深いため息を付いた。すぐそばに母親もいるらしく、同じようにため息を付いてい
府前市。 月野美良(つきの・みら)は、ずっと片頭痛に悩まされていた。 頭の奥底から荒々しく神経を引き吊り出されて来るような頭痛だ。良く判らないが他に形容の仕様が無い。片頭痛の痛みは、一般的な外傷と違って、当事者でなければ理解出来ないモノだ。 それでも片頭痛とは高校時代からの付き合いなので、今はある程度は対処が出来るようにはなっている。痛みが始まる前に鎮痛剤を飲んで大人しくしているという、実に消極的な方法だった。 それならば、鎮痛剤を常時飲んで居れば、良いのではないかと思われる。それも不味い。鎮痛剤に慣れてしまい効かなくなってしまうのだ。それに鎮痛剤頭痛という病気もある。脳が鎮痛剤を服用させるために頭痛を起こすのだ。 原因はストレスと言われているが、片頭痛に画期的な治療法は今の所見つかっていない。 そんな美良は府前大学文学部の四回生。今年は卒業論文を提出しなければ卒業が出来ない。片頭痛も痛いが、これも別の意味で頭の痛い問題だ。 そこで美良は卒業論文のテーマに『失われつつある農村の風習』にしようかと考えていた。 美良の婚約者・宝来雅史(ほうらい・まさし)は同じ大学の講師をしている。彼の研究テーマは『民俗学』である事から、色々と助言を期待して卒論のテーマに選んだのだ。 もちろん、雅史も賛成して全面的に協力を申し出てくれている。 地方の農村などに伝わる祭りなどを、昔からの風習や因習に結び付ける。それを、卒業論文にしようという、良く見かける在り来たりな論文だ。 それでも論文とするためには、ある程度の下調べは必要なので雅史に相談してみた処。『五穀の器』をメインのテーマにしてはどうかと言われた。『五穀の器』とは東北地方に伝わる風習で、五穀豊穣を願って盃に酒を満たしてお祈りをする物らしい。 雅史が研究の対象としている民間信仰の対象物の一つだ。「インターネットを使って情報を集めてみて、後は現地に取材に行って論文の形式にまとめれば楽勝だよ」 雅史は事も無げに言っていた。普段から彼が行っている活動の仕方だからだ。「そ・れ・に……現地取材に行く時には一緒に行くからさ」 どうやら雅史は一緒に旅行に行くという点に関心があるらしい。普段なら年頃の娘を思って門限にうるさい父親も、かつての教え子であり、婚約者でもある雅史が一緒なら簡単にOKしてくれるだろう。「でも
霧湧村。 翌日、美良は自分の軽自動車を運転して、カーナビを頼りに村に出向いた。目的の村に近づくとトンネルが見えて来た。 車が一台通れるような狭いトンネルだ。「ええーーー、ちょっとぉ……」 何よりも薄暗いのが不気味な雰囲気を醸し出している。怖い話は苦手では無いが、そこは女の子だ。独りで進むのに躊躇しているのだ。 山を迂回すれば行けない事も無いが時間が掛かってしまう。余計な手間を掛けたくない美良はそのまま進む事にした。 しかし、トンネルに差し掛かった瞬間、誰かに『入るなっ!』と警鐘を鳴らされた気がする。耳ではなく頭の中に直接響いた気がしたのだ。 美良は思わず車を停車させてしまい、辺りの様子を伺ってしまった。だが、誰もいない。前を見ても後ろを見ても無人だった。 そして、人が隠れている気配も無い。(気のせいか……) 美良は自分の気のせいだと言いきかせて、そのまま車を村に向けて走らせた。 霧湧村に辿り着いた美良は村役場に向かった。ネットである程度は調べたが詳細は村の人に聞く方が早いからだ。「あのー、すいません。 月野美良と申します」「はい、どんな御用でしょうか?」「鎮守の祭りに詳しい地元の方を紹介して頂けないでしょうか?」「良いですけど…… 雑誌か何かの取材ですか?」「いえ、大学生で民俗学を学んでおります。 大学の論文を作成するために、祭の事を尋ねに来たんです」「ああ、そうですか! それはそれは……」 村役場で来訪の目的を伝えると、村の役人たちは大層喜んでくれてた。 何も無い田舎の村に、都会から若い女性が来ることが、珍しいので嬉しかったのであろう。自ら案内役を買って出てくれた。 村の史跡を巡っている時、村の一番高い山に登ると眺めとは裏腹に寂れた神社があった。昔は神主も居たのだが村人の減少に合わせて無人となり、村人たちが交代で境内の掃除などをしているのだそうだ。 美良の目的だった鎮守の祭りは、春先に行われるだけなので見学したければ、その時に来るしか無いと言われてしまった。美良は神社の成り立ちなどを聞きながら、論文用に何枚か写真に収めていった。「先日、泥棒が入りましてね。 大したものが無いのが気に入らなかったのか、扉なんかを壊していきやがりまして…… まったく、神さまに畏敬を持たない輩には困ったもんですわ」 案内してくれた村役場の人
府前駅ホーム。 美良は大学から自宅へ帰宅の途についた。時刻は夕方近くになっているので大学の中に人が少なくなっているからだ。 大学近くの駅のホームで電車を待っていた。すると、ホームに流れる電車のアナウンスに、何かの音が混ざっているのに気が付いた。「……」 リズミカルな小太鼓と笛の奏でる小鳥の様なさえずり。祭囃子だ。場違いなお囃子は、まるで日の暮れを追いかけるようにして、ホームの中を右に左に揺れる様に奏でていた。「え、祭り囃子? 」 ここは大都会の駅の中。確かに近くには古い神社があるが、今は祭りの時期では無い。 加えて美良は片頭痛が始まりつつあった。心臓の鼓動に合わせるかのようにズキンズキンと来る痛みに耐えながら、バッグから鎮静剤と水のペットボトルを取り出した。「え? 何でお囃子が片頭痛の合図なの??」 片頭痛とは不思議なもので『これから始まるよ』みたいな合図があるのだ。 人によって異なるが、美良の場合は目の前の光景がキラキラと異様に眩しくなるのが合図だった。しかし、今回は祭囃子が合図になっているようだ。普段と違う出来事に違和感を覚えた。(やっぱり、あの村に行ってから、何か変な事ばかり……) 不測の事態に戸惑ってしまったが、ズキンズキンと来る痛みに顔をしかめ始めた。こうなると痛みが去ってくれるまで大人しくするしかない。手持ちの鎮痛剤を水で飲み込んで、ベンチに座って痛みをやり過ごそうかと考えている時に、駅のホームの端に黒い影を見つけた。「なんだろう……」 その黒い影は小さくてはっきりとしていないが、ぼんやりと人の形をしているのは判る。背丈は小学生の低学年くらいだ。それがフラフラとホームの端を行ったり来たりしている。「……幽霊?」 美良は咄嗟にそう考えた。それをジッと観察していると雅史の顔が浮かんできた。『死後の世界なんて在りはしない。 情報が消失して終わりなのさ。 幽霊だの輪廻転生だなんて、宗教家がお布施目当てに言っているだけだ』 恋人の雅史がそんな身も蓋も無い事を言っていたのを思い出した。しかし、今、自分の目の前に幽霊らしき者がいる。 美良はフラフラとした足取りで駅の端まで来た。黒い影に誘われて仕舞ったのかもしれない。 それは、何となく黒い影と手を繋ぎたいと思ったのだ。プアァーーンッ! 侵入してきた電車がけたたましく警笛を鳴
府前市。 宝来雅史(ほうらいまさし)は焦っていた。 婚約者の月野美良(つきのみら)の行方が分からないのだ。 自分を置いて北関東にある村に、一人で取材に行ったのは知っていたが、その後の行方が分からなくなっているのだ。もう一週間も連絡が付かない。自分だけでは無く家族や友人たちとも連絡が無いそうだ。 取材そのものは旨くこなして、一旦自宅に戻っているのだが、大学の帰りに雅史宛てにメールを送ったのが最後になっている。『相談したい事がある』 そんな内容のメールだったが、肝心の相談内容が書かれていなかった。それを最後に彼女と連絡が取れなくなっているのだ。 携帯に電話するも『電源を切っているか、電波の届かない所に居る……』のアナウンスが繰り返されるばかりで要として繋がらない。メールを送っても返事が返って来なかったし、留守電にも返答は無かった。 美良の父親であり、自分の高校時代の恩師でもある月野恭三(つきのきょうぞう)にも聞かれたが、美良と喧嘩などのいざこざは起こしていない。 生来のめんどくさがりの雅史と違って、美良は父親に似て結構まじめな性格だ。家族にも自分にも何も言わずに姿を消すなど考えられない。 美良の父親と相談した結果、警察に捜索願を出す事にしたが、これといって手懸かりが無い状態になっている。 唯一、分かったのが帰宅の為に電車に乗った事と、なぜか美良の車が無くなっている事だ。 彼女が行方不明になったと思われる日はガレージにあったと母親が証言していた。(じゃあ、美良は一旦帰宅してから車で出掛けたのか? どこに??) 美良が行方不明になる前に取材に行った村に電話をかけてみたが、村から帰った後で美良が尋ねて来た様子は無いとの事。 狭い村なので目立ちやすい若い娘がうろついていたら直ぐに判るとも言っていた。何か協力できることがあったら何でも相談してくれとも言ってくれていた。 そこで雅史は一度村を尋ねてみる事にした。現地に行かないと美良が何に巻き込まれたのかが分からないからだ。 美良が卒業論文のテーマは『失われつつある農村の風習』。 それを助言をしたのは自分だ。「やはり、一緒に行くべきだったのか……」 雅史は後悔していた。近場と言う事もあり、安心していたし無事に帰って来れたようなので、何事も無かったのだろうと油断していたのだ。(何か面倒事に巻き
雅史の車の中。(到着が夜中になっちまうな……)(起きててくれるかな……)(田舎の人って早く寝てしまうイメージだし……) そんな事をつらつらと考えながら。雅史は車を霧湧村に向けて走らせていた。途中の高速のサービスエリアに立ち寄る事にした。喉が渇いたので飲み物を買おうかと思ったのだ。 エンジンを止めたところ妙に車の後ろが騒がしい。もちろん、一人で来ているので後部座席には誰も座っていない。『ドンドンドン…… ドン…… みゃぁみゃぁみゃぁ……』 どうやら車のトランクの中から何かが聞こえる。猫か何かがトランクの内側で鳴いている感じだ。だが、トランクの中には交換用のタイヤぐらいしか入ってないはずだ。(ん…… ま・さ・か……) だが雅史は嫌な予感がした。 雅史はトランクを恐る恐る開けてみると、『ポンッ』という感じで姫星が飛び出て来た。そして目に涙を浮かべながら言った。「お…… お…… おトイレぇ~~~」「あぁぁ、やっぱり…… 」 雅史は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。そして、そのままサービスエリアのトイレの方角を指差した。姫星はそのままパタパタとサービスエリアのトイレに走って行った。姫星は車のトランクに隠れて、美良の捜索に加わる事にしたのだった。「今から…… 姫星ちゃんを家に届ける訳には行かないか……」 腕時計を見ると夜中を回っている。一旦、送り届けてもう一度来るとなると朝方になってしまう。 美良の探索に休日を充てたかった雅史は、無理をして徹夜で仕事を片付けていてヘトヘトになっていた。(どうしたもんだか……) どうやって車のトランクに入ったのかとか、質問は色々とあったが姫星を連れて行く事にするべく月野家に連絡する事にしたのだった。(取り敢えずは連絡が先だな) 雅史は携帯電話で月野恭三に電話をかけた。家族が心配していると拙いし、知らなかったとは言え、未成年者を連れまわすのは色々とうるさいご時世だ。『家に居ないのでまさかと思ったが…… やはり、付いて行ったのか……』 月野恭三は予測していたように電話口で呟いていた。どうやら居ない事に気が付いて探し回っていたらしい。「はい。 車のトランクの中に入っていました」 そう、雅史が言った。『…… はぁ ……』 恭三は深いため息を付いた。すぐそばに母親もいるらしく、同じようにため息を付いてい
「学会が近いのに済まないね。 まったく、美良はどこをほっつき歩いているんだか……」 自分の恩師でもある父親が憔悴したように言ってきた。碌に睡眠を取ってないのか目の下に隈を作っていた。「いえ、自分は大丈夫です。 先生こそ大丈夫ですか?」 雅史は相手を気遣いつつも、お茶を持って来てくれた母親に軽く頭を下げて、鞄の中からいくつかの記事を印刷したものを取り出した。 「実は地方新聞の記事を見ていて気が付いたのですが、美良さんが尋ねた神社や寺には泥棒が入っていたようですね」 雅史は美良が村に行く何日か前に、神社と寺に泥棒が入ったとの記事を見つけていた。大した被害は無かったらしいが、詳細は不明だった。この件は村に行って直接聞いてみる事にしている。 警察に問い合わせても弁護士ならいざ知らず、民間人に教えてなどはくれないのは解っていたからだ。「ふむ…… その泥棒たちと何か問題を起こしたのか?」 美良の父親は、そんな疑念が湧き上がって来たように聞いて来た。隣に座って居る母親も同じようだった。「でも、それだったらメールじゃなくて電話寄越すだろうし、親父さんに相談しますよね?」 雅史は自分にはそんな事は何も言ってなかった。「あっ、そういえば……」 姫星が雅史の話を聞いていて思い出したように言った。「おねぇが村から帰って来た時に、そんな事を言ってたよ」 いつもの雑談だと思っていたので聞き流していたそうだ。「何でも泥棒が神社の本殿に入って、金目のものが無かったのに腹を立てた連中が、中の物を壊して回って村の人が困っていたって言ってた」 姫星は行方不明になる前に姉と交わした会話を思い出していた。「でも、おねぇ自身が何かに困っている風じゃなかったよ?」 姫星が続けて答えた。「あの日も、大学に行く時は普段と変わらずに出かけていったからねぇ」 今度は母親が答える。美良の家族は羨ましいぐらいに仲が良い。雅史が理想とする家族像であった。「じゃあ、泥棒にどうこうされている訳では無いみたいですね……」 雅史が姫星と美良の会話内容を聞きながら答えた。泥棒の一味に捕らえられているのではないかとの懸念があったのだ。「どっちにしろ無断で出かけるような娘では無い。 それで雅史君は、その何とかって村には行って来るのかね?」 父親が雅史に尋ねる。出来れば自分も行きたいそうだが
更に詳しくネットを使って下調べをしてみた所。霧湧村にはいくつかの都市伝説が流されていることが判明した。『霧湧トンネルを抜けた近くに、日本の法治が及ばない恐ろしい集落『黒霧湧』があり、 そこに立ち入ったものは生きては戻れない』という如何にもな都市伝説だった。霧湧トンネルは村の入り口にあたる部分にあり、地図で見た限りではどうって事の無い普通の生活トンネルだ。 雅史はインターネットで別の都市伝説も読んでいた。霧湧村は閉鎖的も閉鎖的で祭りには絶対に部外者を招待しない、一説では人喰いの風習があるらしいとの眉唾な噂もあり、もう少し詳しく調べてみる必要があるとも感じていた。 日本全国各地に俗に『パワースポット』と呼ばれる地脈の集結点や、大地の『気』の湧出点があり、そこを巡る旅行が流行っているが、村にもそういう場所があるらしい。 但し、村にあるのは『ダウンスポット』と呼ばれる物だ。『パワースポット』は自然エネルギーを大地から放出するが、『ダウンスポット』は逆に持って行くのだそうだ。『パワースポット』事態なんだか胡散臭いが、『ダウンスポット』の存在があるのなら見てみたい衝動に駆られていた。 それに自然エネルギーという考え方も、ちょっと目新しかったのだ。すべての生き物の生命は自然エネルギーの集合体であり、豊穣の実りは自然エネルギーが移動した結果に過ぎないという考え方らしい。(山神信仰みたいなものかな?) この都市伝説に関しては諸説が色々と書いてあった。元々、山間で狩猟を生活の糧としてきた村人たちは、江戸時代以前より激しい差別を受けてきたために、霧湧集落は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしていた。 または、流行りの不治の病が流行した時に、村人を閉じ込めて棄てられた村である為、下界の人々を嫌っていたともある。人里から隔離されたような場所にあるので、近親交配が続いて血が穢れているとされて、交流を近隣の村から拒絶されたともある。 ただ、これらの都市伝説については根も葉もない噂話であるとも書かれていた。 霧湧は江戸時代中期、元禄四年以前に鹿馬藩庁が城下の地行町に居住していた鉄砲足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。 また、毛皮や山菜、砂金などの交易を通じて霧湧村と近隣の村は良好な関係にあったとも書かれていた。それと腕の良い
府前市。 宝来雅史(ほうらいまさし)は焦っていた。 婚約者の月野美良(つきのみら)の行方が分からないのだ。 自分を置いて北関東にある村に、一人で取材に行ったのは知っていたが、その後の行方が分からなくなっているのだ。もう一週間も連絡が付かない。自分だけでは無く家族や友人たちとも連絡が無いそうだ。 取材そのものは旨くこなして、一旦自宅に戻っているのだが、大学の帰りに雅史宛てにメールを送ったのが最後になっている。『相談したい事がある』 そんな内容のメールだったが、肝心の相談内容が書かれていなかった。それを最後に彼女と連絡が取れなくなっているのだ。 携帯に電話するも『電源を切っているか、電波の届かない所に居る……』のアナウンスが繰り返されるばかりで要として繋がらない。メールを送っても返事が返って来なかったし、留守電にも返答は無かった。 美良の父親であり、自分の高校時代の恩師でもある月野恭三(つきのきょうぞう)にも聞かれたが、美良と喧嘩などのいざこざは起こしていない。 生来のめんどくさがりの雅史と違って、美良は父親に似て結構まじめな性格だ。家族にも自分にも何も言わずに姿を消すなど考えられない。 美良の父親と相談した結果、警察に捜索願を出す事にしたが、これといって手懸かりが無い状態になっている。 唯一、分かったのが帰宅の為に電車に乗った事と、なぜか美良の車が無くなっている事だ。 彼女が行方不明になったと思われる日はガレージにあったと母親が証言していた。(じゃあ、美良は一旦帰宅してから車で出掛けたのか? どこに??) 美良が行方不明になる前に取材に行った村に電話をかけてみたが、村から帰った後で美良が尋ねて来た様子は無いとの事。 狭い村なので目立ちやすい若い娘がうろついていたら直ぐに判るとも言っていた。何か協力できることがあったら何でも相談してくれとも言ってくれていた。 そこで雅史は一度村を尋ねてみる事にした。現地に行かないと美良が何に巻き込まれたのかが分からないからだ。 美良が卒業論文のテーマは『失われつつある農村の風習』。 それを助言をしたのは自分だ。「やはり、一緒に行くべきだったのか……」 雅史は後悔していた。近場と言う事もあり、安心していたし無事に帰って来れたようなので、何事も無かったのだろうと油断していたのだ。(何か面倒事に巻き
府前駅ホーム。 美良は大学から自宅へ帰宅の途についた。時刻は夕方近くになっているので大学の中に人が少なくなっているからだ。 大学近くの駅のホームで電車を待っていた。すると、ホームに流れる電車のアナウンスに、何かの音が混ざっているのに気が付いた。「……」 リズミカルな小太鼓と笛の奏でる小鳥の様なさえずり。祭囃子だ。場違いなお囃子は、まるで日の暮れを追いかけるようにして、ホームの中を右に左に揺れる様に奏でていた。「え、祭り囃子? 」 ここは大都会の駅の中。確かに近くには古い神社があるが、今は祭りの時期では無い。 加えて美良は片頭痛が始まりつつあった。心臓の鼓動に合わせるかのようにズキンズキンと来る痛みに耐えながら、バッグから鎮静剤と水のペットボトルを取り出した。「え? 何でお囃子が片頭痛の合図なの??」 片頭痛とは不思議なもので『これから始まるよ』みたいな合図があるのだ。 人によって異なるが、美良の場合は目の前の光景がキラキラと異様に眩しくなるのが合図だった。しかし、今回は祭囃子が合図になっているようだ。普段と違う出来事に違和感を覚えた。(やっぱり、あの村に行ってから、何か変な事ばかり……) 不測の事態に戸惑ってしまったが、ズキンズキンと来る痛みに顔をしかめ始めた。こうなると痛みが去ってくれるまで大人しくするしかない。手持ちの鎮痛剤を水で飲み込んで、ベンチに座って痛みをやり過ごそうかと考えている時に、駅のホームの端に黒い影を見つけた。「なんだろう……」 その黒い影は小さくてはっきりとしていないが、ぼんやりと人の形をしているのは判る。背丈は小学生の低学年くらいだ。それがフラフラとホームの端を行ったり来たりしている。「……幽霊?」 美良は咄嗟にそう考えた。それをジッと観察していると雅史の顔が浮かんできた。『死後の世界なんて在りはしない。 情報が消失して終わりなのさ。 幽霊だの輪廻転生だなんて、宗教家がお布施目当てに言っているだけだ』 恋人の雅史がそんな身も蓋も無い事を言っていたのを思い出した。しかし、今、自分の目の前に幽霊らしき者がいる。 美良はフラフラとした足取りで駅の端まで来た。黒い影に誘われて仕舞ったのかもしれない。 それは、何となく黒い影と手を繋ぎたいと思ったのだ。プアァーーンッ! 侵入してきた電車がけたたましく警笛を鳴
霧湧村。 翌日、美良は自分の軽自動車を運転して、カーナビを頼りに村に出向いた。目的の村に近づくとトンネルが見えて来た。 車が一台通れるような狭いトンネルだ。「ええーーー、ちょっとぉ……」 何よりも薄暗いのが不気味な雰囲気を醸し出している。怖い話は苦手では無いが、そこは女の子だ。独りで進むのに躊躇しているのだ。 山を迂回すれば行けない事も無いが時間が掛かってしまう。余計な手間を掛けたくない美良はそのまま進む事にした。 しかし、トンネルに差し掛かった瞬間、誰かに『入るなっ!』と警鐘を鳴らされた気がする。耳ではなく頭の中に直接響いた気がしたのだ。 美良は思わず車を停車させてしまい、辺りの様子を伺ってしまった。だが、誰もいない。前を見ても後ろを見ても無人だった。 そして、人が隠れている気配も無い。(気のせいか……) 美良は自分の気のせいだと言いきかせて、そのまま車を村に向けて走らせた。 霧湧村に辿り着いた美良は村役場に向かった。ネットである程度は調べたが詳細は村の人に聞く方が早いからだ。「あのー、すいません。 月野美良と申します」「はい、どんな御用でしょうか?」「鎮守の祭りに詳しい地元の方を紹介して頂けないでしょうか?」「良いですけど…… 雑誌か何かの取材ですか?」「いえ、大学生で民俗学を学んでおります。 大学の論文を作成するために、祭の事を尋ねに来たんです」「ああ、そうですか! それはそれは……」 村役場で来訪の目的を伝えると、村の役人たちは大層喜んでくれてた。 何も無い田舎の村に、都会から若い女性が来ることが、珍しいので嬉しかったのであろう。自ら案内役を買って出てくれた。 村の史跡を巡っている時、村の一番高い山に登ると眺めとは裏腹に寂れた神社があった。昔は神主も居たのだが村人の減少に合わせて無人となり、村人たちが交代で境内の掃除などをしているのだそうだ。 美良の目的だった鎮守の祭りは、春先に行われるだけなので見学したければ、その時に来るしか無いと言われてしまった。美良は神社の成り立ちなどを聞きながら、論文用に何枚か写真に収めていった。「先日、泥棒が入りましてね。 大したものが無いのが気に入らなかったのか、扉なんかを壊していきやがりまして…… まったく、神さまに畏敬を持たない輩には困ったもんですわ」 案内してくれた村役場の人
府前市。 月野美良(つきの・みら)は、ずっと片頭痛に悩まされていた。 頭の奥底から荒々しく神経を引き吊り出されて来るような頭痛だ。良く判らないが他に形容の仕様が無い。片頭痛の痛みは、一般的な外傷と違って、当事者でなければ理解出来ないモノだ。 それでも片頭痛とは高校時代からの付き合いなので、今はある程度は対処が出来るようにはなっている。痛みが始まる前に鎮痛剤を飲んで大人しくしているという、実に消極的な方法だった。 それならば、鎮痛剤を常時飲んで居れば、良いのではないかと思われる。それも不味い。鎮痛剤に慣れてしまい効かなくなってしまうのだ。それに鎮痛剤頭痛という病気もある。脳が鎮痛剤を服用させるために頭痛を起こすのだ。 原因はストレスと言われているが、片頭痛に画期的な治療法は今の所見つかっていない。 そんな美良は府前大学文学部の四回生。今年は卒業論文を提出しなければ卒業が出来ない。片頭痛も痛いが、これも別の意味で頭の痛い問題だ。 そこで美良は卒業論文のテーマに『失われつつある農村の風習』にしようかと考えていた。 美良の婚約者・宝来雅史(ほうらい・まさし)は同じ大学の講師をしている。彼の研究テーマは『民俗学』である事から、色々と助言を期待して卒論のテーマに選んだのだ。 もちろん、雅史も賛成して全面的に協力を申し出てくれている。 地方の農村などに伝わる祭りなどを、昔からの風習や因習に結び付ける。それを、卒業論文にしようという、良く見かける在り来たりな論文だ。 それでも論文とするためには、ある程度の下調べは必要なので雅史に相談してみた処。『五穀の器』をメインのテーマにしてはどうかと言われた。『五穀の器』とは東北地方に伝わる風習で、五穀豊穣を願って盃に酒を満たしてお祈りをする物らしい。 雅史が研究の対象としている民間信仰の対象物の一つだ。「インターネットを使って情報を集めてみて、後は現地に取材に行って論文の形式にまとめれば楽勝だよ」 雅史は事も無げに言っていた。普段から彼が行っている活動の仕方だからだ。「そ・れ・に……現地取材に行く時には一緒に行くからさ」 どうやら雅史は一緒に旅行に行くという点に関心があるらしい。普段なら年頃の娘を思って門限にうるさい父親も、かつての教え子であり、婚約者でもある雅史が一緒なら簡単にOKしてくれるだろう。「でも